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いろいろ考える時間もなく呆気なく決断が下され、小学5年、秋、兵庫県から京都へ転校する事になった。時代背景はバブル真只中で一軒家を購入する事が目的であった。都会から田舎への環境の変化に戸惑いながら小学校へ初登校すると、1クラスしかなく人数は30名。入学当初は8名だったらしいが著しい人口増加とベットタウンの町で栄え、教室が不足しており図工室に案内された。そう図工室が教室だったのだ。無事に自己紹介も終わり席についた。
勉強道具がなく隣の女子と席を付けて寄り添うように教科書を開いていると、不思議な光景が目に入ってきた。ほとんどの生徒が自発的に発言を繰り返している。その中でも何人かは優等生らしき雰囲気を感じた。また、朝礼が始まる前に体操着に着替えて、晴れの日は毎日マラソンが行われていた。そして出席確認をとると同時に健康状況を自己申告で発表し、マラソンでグラウンドを走った周数も発表していた。「はい。元気です。10周」という感じだ。これも優等生が目立っていた。勉強は全く駄目だが運動に関しては若干の自身があった。
給食は絶対に残してはいけないという方針で、ご飯を一粒たりとも残すことは許されなかった。箱の隅にへばり付いたヤラカイご飯粒をスプーンでおさらいする。パンではなく米が多く、そして牛乳との組み合わせ。最悪だった。絶対に合う訳がない。これも優等生が率先してお代わりを繰り返し目立っていた。
毎日山のように宿題が出され、家に帰っても遊びに行けないほどの量だった。宿題をするのは当たり前の方針で、ほとんどの人が宿題を提出していた。何人かは毎回居残りをしており、その一人であった。放課後は教室に取り残され毎回同じ顔触れが並ぶ。遊び感覚で、放課後の教室の匂いは何か起こる予感がする。それが楽しかった。やはり優等生は宿題をこなしテストも毎回100点から90点台をキープしているのだ。しかし、優等生は居残りに関しては目立っていなかった。少し優越感を感じた。居残りメンバーや先生との仲が深まったり、結束力高まったりと、その様な感覚は知らないはずである。
勉強も運動もでき常にトップに君臨し生徒会長を務めていた人気者の奴が一人いた。その名は安藤。なぜかそいつにライバル心を抱くようになり、唯一の取柄、運動で張り合うようにだけ考えた。実際運動は競い合っていた。体育の授業でバスケットボールがあり、初めてバスケに出会いルールも解らずドリブル一つもつけなかった。安藤は上手かった。レイアップシュートを決めまくり、クラスの得点王で更に人気を自分の手にしていた。運動で初めて安藤に負けた。それがバスケットボールとの出会いだった。
親にお願いしてバスケットボールを買ってもらった。今でも覚えている、黄色のゴムボールでメーカーはモルテンだった。そのボール一つで猛練習が始まった。電信柱の白い丸部分をゴールと見立ててレイアップシュートの練習、家の周りをドリブルして走り回り、レッグスルー、バックロール、クロスオーバーを取り入れた。その練習成果が出て安藤と張り合うところまで来た。担任の先生が休みだったある時バスケの授業を教頭先生が見てくれた。その時に超小学校級という最高の褒め言葉を頂いた。小学校の文集で、「プロバスケットボールプレイヤーになる」と記した。
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